夕焼け空。銭湯にでも行きましょか - ふぁみとりっぷ5号館

【山レポ】
 2009年08月10日 富士山 - 山頂で台風(汗)
 2018年06月01日 武甲山
 2018年06月08日 陣馬山・景信山・高尾山(奥高尾縦走)
 2018年09月17日 尾瀬沼~尾瀬ヶ原1泊2日(IN大清水、OUT鳩待峠) 
 2019年04月29日 秋葉山・仏果山・経ヶ岳(相州アルプス南部)

【鉄レポ】
 2018年02月05日 JR石勝線夕張支線

【旅レポ】
 2020年02月08日 鬼界ヶ島-「俊寛」悲話の舞台を訪ねる-

【銭湯めぐり】
 2006年01月19日 ゆーポッポ〔東京都練馬区〕
 2006年01月20日 ニュー銭湯和倉〔東京都練馬区〕
 2006年01月23日 寿湯〔東京都練馬区〕
 2008年07月16日 初音湯〔東京都板橋区〕

 ※博物館・美術館・動物園などはANNEXの目次を見てね

おでかけレポート目次
「俊寛」を知っていますか?

時は治承元(1177)年、平家全盛の頃。僧都・俊寛は「鹿ヶ谷の陰謀」-後白河法王の密命により平家打倒を画策したという-で平清盛の怒りにふれ、丹波少将成経・平判官康頼の2人とともに「鬼界ヶ島」へ流罪となってしまいます。
翌年、高倉天皇の中宮徳子の安産祈願のために大赦が行われ、俊寛らの待つ鬼界ヶ島へも赦免の船がやってきますが、赦された人の名前の中に、清盛に深く憎まれた俊寛の名前だけはありませんでした。せめて九州までもと取りすがる俊寛を払いのけ、一気に沖へと漕ぎ去る赦免船。ただ一人島に取り残され、消えてゆく舟影を呆然と見送るしかなかった俊寛...。

平家物語に伝えられ、後世さらに脚色されて能や歌舞伎の題材として人気を博したこの「俊寛」伝説の舞台、鬼界ヶ島。

ところでこの島、ちょっと日本地図で探してみて下さい。見つかりましたか...?
そう、隅々まで探しても、現代の地図には「鬼界ヶ島」などという名前の島は見つからないでしょう。
それでは、ひとり残された俊寛が一生を終えたというこの島は、いったいどこにあるのでしょうか?

実は、このエッセイを書いたのは1996年。おぉ、もう随分と古い話になってしまいましたね。
ある能楽関係のWebサイトに載せていただいていた文章なのですが、そのサイトは随分前に閉鎖され、みなさまの目に触れる機会を失ってしまいました。
久しぶりに当時の原稿を読み返してみると、なかなかどうして、よくまぁこんな辺鄙な島々を(地元の皆様ゴメンナサイ)巡り歩いたものだと我ながら呆れてしまうのであります。
このまま埋もらせてしまうのも勿体なく、こちらで再掲載させていただくことにいたしました。

文中に出てくる中村勘九郎は当然先代の勘九郎ですし、約10,000人とご紹介した喜界島の人口は今では7,000人を割り込み(2020年1月1日現在)、一方で離島だったはずの伊王島には2011年に橋が架かり、車で行けるようになりました。
私が島を巡ったこと自体が、もはや歴史を感じさせる古い話のようにも思えますが、そんなギャップも探していただきつつご笑覧くださいませ。

「平家物語」などに伝えられるところによると、俊寛ら3人の流罪された島は「硫黄島」と呼ばれ、また「鬼界ヶ島」と呼ばれることもある。謡の中にも「硫黄」「九州薩摩潟」「鬼界が島」といった言葉が出てくるのだが、この島が現在のどこにあたるのかは、実はいくつかの説があって現在でもわかっていない。

俊寛が流された島はここだ、と名乗りをあげている島は、私の知る限り3つ、いずれも九州地方にある。1つめは、俊寛が晩年を過ごしたという「俊寛堂」が復元され、当地で中村勘九郎による歌舞伎「平家女護島」が演じられた硫黄島(鹿児島県)。2つめは、俊寛のものと伝えられる墓が残り、その墓の調査により俊寛のものと推定される人骨と木管、装飾具が発見されたという喜界島(鹿児島県)。そして3つめは、同じく俊寛の墓があり、当地を訪れた北原白秋が俊寛を憐れんで詠んだ歌碑の残る伊王島(長崎県)である。

こうした島々を実際に見比べてみようと、平成8年春、私は「俊寛」伝説の残るこれらの3つの島々を順に訪ね歩いてみた。

[1]硫黄島~赤く輝く火山と温泉の島

鹿児島港から南へ100Kmあまり、硫黄島へと向かう村営船「みしま」は3日に1回しか就航していない。人口は200人足らず、今も噴煙を上げる「硫黄岳」を中心とした火の島である。

鹿児島港を出て4時間、穏やかな海を越えて西に硫黄島の姿が間近になってきた。硫黄岳の山頂から崩れた岩肌が海岸まで一直線に落ち込み、とても人の住めそうにない険しい島だ。しかし、硫黄岳を右に見つつ島を回り込むと、やがて小さな平地が現れ、「みしま」は硫黄島港へと入港した。都会から遠く離れた小島、海の色もさぞ美しいだろうと思うところだが、海面は何と一面鉄サビのような赤茶色。なんでこんなに汚れているのかと思わせる色だが、何でも港の底から温泉がわいているせいで、決して汚い訳ではないのだという。さすがは活きた火山の島だ。

ひと晩お世話になる「民宿硫黄島」さんに荷物を置き、早速島の中央近くにある「俊寛堂」へ出かけた。
島内にはバスやタクシーなどはなく、宿の車を頼まない限り、この島を巡るには自分の足だけが頼りだ。島に1つしかない集落を抜け、しばらくは椎茸栽培だろうか、たくさんの木組みが並ぶ畑が続いていたが、やがて道の両側は静かな林になった。ほどよい風と日射しが心地よい散歩道だ。

20分ほど歩いて「俊寛堂」の立札から脇道へ入ると、今度は谷へと下る暗い山道だった。道の上を苔が覆っていて、一歩進むごとに靴が静かに沈む感覚が柔らかくて気持ち良い。3分ほどで谷へと降り、小さな池の脇を通ると、六角形の小さなお堂が建っていた。俊寛堂だ。

最近復元されたばかりなのだろう、俊寛堂はこざっぱりとしたきれいな建物だった。この俊寛堂は、ただ1人島に取り残された俊寛が絶望の日々を送ったところだという。うっそうとした木々に囲まれ、あたりは風の音が過ぎてゆくのみ、俊寛はなぜこのような暗く寂しい谷間を最期の場所に選んだのだろうか。海の見えない場所に籠ることで、叶えられぬ望郷の念を忘れようとしたのか、それとも、自分が都びとだというプライドが、島の人たちとかかわりつつ暮らしていくことを拒ませたのだろうか...。

俊寛堂を離れ、そのまま島の名所巡りへと出かけた。波打ち際の温泉に火山の展望台、遣唐使や平家の落ち武者の遺跡、なぜか島じゅうを闊歩する孔雀たち(本物ですよ)等々、この小さな陸地に自然も歴史もと欲張りなほど見どころの多い島だ。これらの見どころの話も是非書きたいところだが、今回の主題から離れてしまうので我慢しておく。が、1つだけ紹介させていただこう。俊寛の死からわずか5年後、壇ノ浦に平家が滅んだとき、入水したはずの安徳天皇の墓がどういう訳かここ、硫黄島にあるのである。

港の集落の一番奥、俊寛堂へ向かう道のすぐ脇に安徳天皇の墓はあった。硫黄島の俊寛立像案内板がなければまさかこれが「天皇陵」だとは思わないだろう、人の背丈ほどもない小さな墓だ。草を分けて進んだ奥には、平資盛の娘で安徳天皇后とされる櫛匣局(くしげのつぼね)の墓まであった。案内板によると、壇ノ浦で入水したのは身代わりで、安徳天皇自身は同じく落ち延びた平家一門とともにこの硫黄島に逃れてきたという。さらに櫛匣局との間にできた子が長浜氏を名乗り、今なおその子孫が島に住んでいるというからすごい話だ。おそらく、平家一門の誰かがこの島まで逃れてきたというところまでは本当かもしれない。そして、自分たちの正当性を誇示するために、我々のもとには安徳天皇がいるのだ、と言い張ったのだろうか...。それにしても、俊寛がもう少し長生きしていれば、この島で安徳天皇と会っていたかもしれない、と考えるのはなかなか愉快だ。

名所巡りを終え、民宿へと戻る前にもう一度港へと行ってみた。港の近くに、平成7年5月に建てられたばかりの俊寛の銅像があるはずだ。

俊寛像は、硫黄島港の西端、海を望む場所に建っていた。遠くから見ると何だか変な形だ。何だありゃぁ、と近づいてみると、これがまた強烈なインパクトのあるものだったのだ。

「おぉーい、待ってくれぇー!私を1人にしないでくれぇー!」
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右手を天に向かって振り上げ、髪を振り乱し、水平線の彼方に消えてゆこうとする赦免船に向かって、気も狂わんばかりに叫び続ける俊寛-夕焼けに照らされ、赤茶色の海に向かって今にも走り出しそうな俊寛の像は、僧侶らしい落ち着きなどみじんもない、鬼気迫り、哀れみを誘い、それでいて(失礼ながら)どこかコミカルな表情をしていた。よくこんなものを建てたものだ、と像を制作者、それにこの像を村で一番目立つところに建てることを認めた島の人たちに思わず感心した私であった。

[2]喜界島~青い海に浮かぶ珊瑚礁の島

硫黄島から鹿児島港へと戻ったその日の夜、今度は「フェリーきかい」に乗って喜界島へと向かった。鹿児島のはるか南、約400Km彼方にあり、現代の大型フェリーでも一晩かかる距離だ。この島は人口約10,000人、硫黄島よりずっと大きな島で、鹿児島や奄美大島から飛行機も飛んでいるが、その遠さを実感するために、今回は船を使うことにした。

朝4時30分。目が覚めたとき、船はちょうど喜界島・湾港に着こうとしていた。まだ真っ暗だ。私の他に何十人もの乗客がここで降りたが、自分の車やら迎えの車やらであっと云う間にみんないなくなってしまって、私だけが闇の中に取り残されてしまった。港は湾という名前の喜界島で一番大きな集落のはずれにあるのだが、街灯も少なく、夜が明けるまで何とも心細い思いであった。

目指す俊寛の墓は湾の町の中にあるらしいが、折角ここまで来たのだから、島じゅうを見て回りたい。喜界島は周囲50Km弱、面積は硫黄島の5倍。歩いて回るには1日ではとても足りない。バスはそれなりに本数もあるが、行ける場所が限られてしまい、また短い滞在では思うように見て回ることができない。この島を見て回るには、やはりレンタカーだろう。早速湾の町外れにある空港の近くで車を借りた。12時間で4,000円。私にとっては実に2年半ぶりのハンドルであった。

この島には、硫黄島にはなかった開放感がある。海岸近く迫った断崖はあるが、その上に登ってみるとなだらかな丘がどこまでも続いている。島中央部の百之台公園からは、珊瑚礁の美しい海岸線が一望に見渡せ、あぁじぶんは今南の島に来ているのだとの思いを強くさせる光景だ。また、この島も自然だけでなく、歴史の言い伝えがいろいろと残る島で、硫黄島では安徳天皇だったが、喜界島でも負けじと源為朝の伝説が残る泉があったりする。俊寛の話もそうだが、2つの島は何だか張り合っているかのようだ。

いやいや、南の島の雰囲気と久しぶりの車の運転に浮かれてしまって、俊寛を訪ねるのが後回しになってしまった。島を2周して戻ってきて、湾の町にあるはずの俊寛の墓を探したのだが、車の中からでは案内板も見つからない。仕方あるまい、と空港の駐車場に車を置いて、町の中を歩いて探すことにした。町の人に聞いて、ようやく俊寛の墓の場所がわかったが、表通りに場所を示す案内板はなかった。これでは車の中から見つけるのは無理だ。

喜界島の俊寛座像「何してるの?」市街地の裏手にある運動公園にさしかかった頃、小学3年生ぐらいの男の子が話しかけてきた。「俊寛さんに会いに来たんだよ。俊寛さんって知ってる?」「何だ、俊寛か、すぐそこだよ。」見ると、俊寛像とおぼしき銅像が目の前、公園の片隅に建っていた。何ともあっけない出会いである。俊寛の墓と伝えられ、その中から俊寛のものとされる人骨などが見つかったという墓も、その横で大切に守られるように保存されていた。
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喜界島の俊寛像は落ち着いた座像で、実におだやかな表情をしている。俊寛というと僧とはいえ当時の権力闘争の中心にいた煩悩多き人物とのイメージがあるのだが、こちらの像は何だか悟りをひらいた高僧のようで、硫黄島の俊寛像のあの未練たっぷりの姿とは全く対照的だ。はるか水平線の彼方に九州最南端の開聞岳の望める硫黄島と違って、どんなに空気の澄んだ晴れた日であっても、この島から九州を望むことはできない。俊寛がこの島に流されていたなら、遠くに見ることさえできない九州の影に絶望を深くしたことだろう。その絶望を経て、この島の明るさ・穏やかさに、俊寛もこの座像のように平静心を得ることができたのだろうか。

[3]伊王島~緑豊かな長崎港外の島

伊王島は長崎港から1日13便出ている高速艇「コバルトクイーン」で20分、距離にしてわずか10Kmと、硫黄島や喜界島に比べれば随分近くて便利な島だ。俊寛の孤独に想いを馳せる間もなく、あっと云う間に伊王島港に着いてしまった。

伊王島はかつては炭坑の島として栄え、昭和47年の閉山後はその人口も急減したが、近年長崎市の目と鼻の先という地の利を生かし、観光開発によりかつての賑わいを取り戻しつつある。私が島を訪れたときも、高速艇の船着き場は観光客向けにお色直しの最中であった。港の土産物屋でレンタサイクルを借り、橋でつながっている南側の沖之島をひと巡りした後、「俊寛の墓」を目指した。

伊王島は平地が少ないので、港に面した急斜面にへばりつくように民家が並んでいて、道もかなり急な坂が多い。俊寛の墓はこうした集落のさらに上にあって、とても自転車をこいで上れる場所ではなかった。自転車を押し押し、坂を上り切った頃には、すっかり汗だくになってしまった。

俊寛の墓は、見晴らしの良い明るい丘の上、海峡を隔てて九州を望む芝生広場の片隅にあった。硫黄島や喜界島のような銅像は無いが、俊寛の墓と並んで立派な歌碑がある。昭和10年、この地を訪れた北原白秋が俊寛を憐れんで読んだ長歌の碑である。800年の時を経て、白秋の思いはどのようなものだったのだろうか。
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伊王島の俊寛墓平家物語でも能の謡でも、俊寛が流罪にされた島は「薩摩」の鬼界ヶ島とされている。そうなると薩摩とはまるで方向違いの伊王島は分が悪いように思われるのだが、その点は次のように説明されている。曰く、平教盛(清盛の弟)が3人を流刑地に送る際、自分の荘園が肥前嘉瀬庄にあったので、仕送りに便利な伊王島に彼らを流し、清盛へは「薩摩の硫黄島に流した」と報告したということらしい(伊王島町教育委員会の碑文より)。

それにしてもここから望む九州はあまりに近い。これでは「せめては向かひの地までなりとも」と船にすがりつく俊寛の姿を思い浮かべ難いのだが...。しかし、「鬼界ヶ島」というと硫黄島や喜界島のような絶海の孤島のような印象があるのは確かだが、私たちの知る「鬼界ヶ島」が後世の脚色により哀しい部分を強調されたものと考えれば、俊寛たちが流されたのは案外こんな島だったのかもしれない。

島の北端、伊王島灯台まで足をのばし、伊王島港へと引き返してきた。帰りはずっと下り坂、なんともラクチンである。船の待ち時間に港の土産物屋をのぞいてみたら、「俊寛もなか」なるものまで売っていた。まったくもう...と思いながらもやっぱり買い込んでしまう私自身にちょっぴりあきれつつ、やがてやってきた帰りの船でこの旅の最後の訪問地、伊王島を後にした。

一人残された俊寛は、赦免の報を聞くことなく、失意のうちに翌治承3年(4年との説もあり)37歳でその一生を終えている。徳島県鴨島町の玉林寺には、俊寛を残して島を去った平康頼が俊寛の霊を弔うために納められた観音像が残っているという。

俊寛が遂にそこから出ることができなかった鬼界ヶ島、現在では3つの島それぞれが、うちこそは本物と自信を持っているようだが、本当のところは永久にわからないかもしれない。私も3島を巡ったが、この島こそと確証を持てるような発見などできるはずもなく、それぞれまったく違うカラーを持ちながらも、どの島をとってももしかしたらここなのかなぁ、もしかしたら俊寛は3人いたのだろうか、とさえ思いたくなる島々であった。

平家物語は歴史を後世に伝える役目を果たしたのと同時に、それ故にまた多くの謎を現代に残したようだ。聞くところによると、安徳天皇が逃れたという里も日本中にいくつもあるらしい。今度は安徳天皇探しの旅に出ようか。その時にでも硫黄島は是非再訪しよう...。今度はそんなことを考えている。

おでかけレポート目次

山レポ記事一覧はこちら
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秋葉山1005-1
東京スカイツリーから一番近い、東京スカイツリーより高い山。
どこだかご存知ですか。

ふと興味をもってググってみたのですが、答えが出てきません。
おぉっ、ひょっとしてこれはグーグル先生さえ知らない未開拓領域か?

えぇ。調べてみましたとも。
国土地理院の地形図に名前が載っている山のなかで、東京スカイツリーから一番近い、標高635m以上の山。答えはこちら。

 第1位 小仏城山(標高670.4m)東京スカイツリーから54.00km
 第2位 景信山(標高727.3m)東京スカイツリーから54.21km
 第3位 仏果山(標高747.0m)東京スカイツリーから54.22km
 ※ 距離の測定はmapionのキョリ測を使わせていただきました。

220m以内に3座。むちゃくちゃ僅差ですねぇ。
2位と3位はクリック誤差の範囲。優劣はないといってよいでしょう。
おやおや。第1位と第2位は昨年登ったばかりの山じゃないですか。
なんだ。知らないうちに踏破していたとは

しかーし!

第3位の仏果山を調べているうちに、その近くに見つけてしまったのです。
地形図には名前が載っていないけれど、もっと東京スカイツリーに近い山を!

 隠れ第1位 秋葉山(標高660m)東京スカイツリーから53.81km

ほら、地形図には載ってないけど、このレポートの写真にちゃんと660mって書いてあるでしょ!

 ヤマレコ juneshowさんの山行記録
 shuttle's photo loungeさんの「高取山・仏果山・秋葉山 登頂」

こうなると、居ても立ってもいられません。俄然、秋葉山に登りたくなってきました。
というわけで、2019年4月29日、平成最後の昭和の日(←ヤヤコシイ)。
行ってまいりましたよ秋葉山

蛇足ながら、ヤマケイオンラインの地図では、秋葉山が標高540m地点に記載されているんですよね(2019年5月1日閲覧)。でも、上のお二方のほかにも、いくつも標高660m地点の秋葉山に行かれたレポートがありますから「660m」の方を信用することにしましょう
秋葉山
というわけで、新宿から小田急線で50分。本厚木駅にやってまいりました。
ただいま朝の8時30分過ぎ。今日はこれから秋葉山、仏果山、経ヶ岳とプチ縦走してまいります。

秋葉山の麓の町、半原へ行くには、本厚木駅からバスに乗って30分ちょっとかかります。
半原行のバスは、
  • 国道412号を走る「厚01(野外センター前経由)」
  • 県道54号を走る「厚02(田代経由)」
の2つの系統が交互に出ています。

秋葉山の登山口最寄りの「細野橋」を通るのは「厚01」です。
でも生憎、次のバスは、ちょっと離れた県道を通る8:40発の「厚02」系統。「厚01」は30分待ちです。

先のバスに乗って向こうで歩くか、それとも30分待って歩く距離を減らすか。
ちょっと迷いましたが、先に出る「厚02」に乗って、少し遠くなりますが「愛川橋」バス停から歩くことにします。

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観泉荘 こまや

秋葉山への山歩きのスタート地点近くにあるお宿です。今回私は東京から日帰りしてしまいましたが、前泊して露天風呂でのんびり・・・というのも魅力的ですね♪


晴れた空の下、バスは山へと向かって走ります。
30分も走れば、そこはすっかり山のなか。
秋葉山0922-1
のんびり川遊びでもしていきたくなりますが、寄り道して遅くなり、山のなかで日が暮れたりしたら大変。まっすぐ秋葉山に向かうことにしましょう。

奥に見える青い橋が愛川橋。ここでバスを降ります。
秋葉山へは、橋の右岸の交差点を、橋と反対方向に進むはずなのですが・・・。

あれ?
道、どこ?

民家の裏庭に入るような細い路地はあるのですが、さすがにこれは違うよね、と周辺をうろうろ。
山ん中で迷うならともかく、こんなところで迷うとは、幸先悪いったらありゃしませんね
秋葉山0932-1
で、結局。
最初に見た細道が正解でした

あれ?なんて言ってないで、入って確かめればよかったんですが、なんだか住居不法侵入になりそうな、プライベート感ありありの道だったので躊躇してしまったのでした。
右に行ったり左に行ってみたり、結局10分ぐらい無駄にしたかな
秋葉山0933-1
細道は間もなく急な上り坂に。
先ほど迷って歩き回った集落が、あっという間に眼下に遠ざかります。
秋葉山0935-1
おや、案内碑が。
実はこの道、隠川坂って名のある、古くからある道だったんですね。
かつては山の産物を背負った行商人たちが行き交ったりしたのでしょうか。そんな様子を思い浮かべて改めて見ると、この道にも何やら懐しさを感じるような(ただの裏道でしょ、って思っていたくせに、何をいまさら)。
  • ところでこの道、地理院地図MapionゼンリンいつもNaviMapFanにはちゃんと載っていますが、Google Mapsには記載がなく、ぐるっと1kmほど迂回する道しか出てこないんですね。山道に限らず、車が通れないような細い田舎道にはしばしばそういうことがあるので困ってしまいます。
    志摩国一の宮 伊射波神社に参拝した時もそうでした。ここはGoogle Mapsだけでなく、Mapfan、ゼンリンいつもNaviもNG。道が示されているのは地理院地図とMapionだけでした

    さすがに「登山・ハイキングに出かけるときもGoogle Mapsが頼りです」なんて方はいないでしょうが(遭難しますよ)、里道のお散歩でも迷わされることがありますのでご注意くださいませ
隠川坂を上がると、半原の住宅街です。
鄙びた山里という雰囲気ではなくて、郊外の新興住宅地という感じの街並みです。

昼食の買い出しに、国道沿いのセブンイレブンに入ろうとしたら...。
秋葉山0949-1
ありゃ。
あれは本厚木駅を30分後に出発した、国道412号経由のバスじゃないですか。

愛川橋近辺でうろうろ迷っていたせいもあって、追いつかれてしまったようです。
本厚木駅で慌てて県道経由のバスに乗ってしまいましたが、駅でゆっくり買い物を済ませてから、30分後のバスに乗った方が早かったですね
秋葉山1002-1
菜の花が風に揺れています。
桜も素敵ですが、春の花といえば、私はやっぱり菜の花ですね。
秋葉山1012-1
小さなお社がありました。
手を合わせて、道中の無事を祈ります。

さて、愛川橋でバスを降りてからそろそろ1時間。
いきなり道に迷い、隠川坂を上り、住宅街を抜け、畑の中を進んできましたが、ここまで登山者を導く道標などどこにも見あたりません。

地図を片手に歩いているとはいえ、秋葉山への道はこれでいいのだろうか、いゃそもそも秋葉山は実在するのだろうか?・・・などと心配になってきたところでようやく・・・
秋葉山1015-1
ありました~秋葉山1.3km
ただいま10時15分。ここから秋葉山への登山開始です
秋葉山1016-1
道標からちょっと進むと、閉じられたゲートがあります。
ちょっとドキッとしますが、車が入れないようにしているだけのようです。
徒歩の登山者はゲート脇を通り抜けられますから、気にせず進みましょう。
秋葉山1026-1
林道を10分ほど歩いたところで、ぎゅっと折り返すように登山道が始まります。
道標には「秋葉山 0.7km」。
なんだ、もうすぐそこじゃない

・・・一瞬、気が緩みかけましたが、左手に握りしめた地図によると、ここは標高350m地点。
水平距離700mで、660-350=310mの高度差ですから、結構な急登のようです。
ちょっと深呼吸。さぁ、気合を入れなおして。頑張ってまいりましょう
  • 帰宅してからカシオのkeisan+で計算してみたら、この区間の平均斜度は23.9度でした。
    あくまで「平均」ですからね。いやぁ最後の方キツかったな・・・
秋葉山1035-1
登山道沿いに、たくさん白い花が咲いています。
花の名前を知っていれば、山歩きがもっと楽しくなるんでしょうね。
私には「白い花」としかわかりません。

野草と野鳥は、昔から「詳しくなりたい」と思うだけは思っているのですが、図鑑などを用意して何回チャレンジしても、悔しいですがどうしても頭に入らずに放り出してしまいます。
だから、こういう花を見て、ぱっと名前が出てくる人はそれだけで尊敬してしまいます。どうやって覚えているのでしょう。不思議です・・・
秋葉山1037-1
登山道に入り、いきなりの急坂で息が上がりますが、5分ほど歩いて呼吸が調ってきたところで、ぱっ!と視界が開けて、刈り払われた鉄塔下に出ます。
振り返ると、この展望!
秋葉山1039-1
半原の町から、もうこんなに上がってきたんですね。
遠くに、横浜や東京都心の高層ビルも眺められます。
登り始めたばかりですが、ちょいと小休止してまいりましょう。

ところでこの秋葉山へ登るルート、あちこちにトラップが潜んでおりまして、登山者を迷わせてやろうと手ぐすね引いて待ち構えております(ウソです。そんな悪意はないです…と信じたい)。

要所要所にビニールテープによるマーキングがあるのですが、困ったことにこれがまた赤テープ青テープ紫テープとカラフルに何種類もありまして、それぞれ示す方向が違ったりして。おまけに、登山道よりも地図に載ってない作業道の方が明瞭、なんてところは何か所もありまして・・・
秋葉山1041-2
たとえばこちら。
送電線の鉄塔から少し登ったところにあった分岐点です。

突然ですが、ここでクイズです。
・・・ってもう山行レポじゃなくなってますが、お付き合いくださいませ

秋葉山へは、どう進むのが正解でしょうか?

次の画像が答えなので、スクロールはちょっと待ってね。
上の画像をクリックして、拡大して考えてみてください。

右と左に、明瞭な道がついています。
道標はありません。

なんとなく、右のほうが整備されたきれいな道に見えるので進みたくなりますが。
一方、地理院地図を見ると、送電線のところの二股は左が正しいようにも思えますが。
それでいいんでしょうか

手掛かりは、木の幹に巻かれた赤テープと青テープでしょうか。

・・
・・・
・・・・・・・

はい、それでは、答えはこちら。
秋葉山1041-3
右でも左でもなく、真ん中を進むのが正解なんですね
おいっ(怒)って感じじゃないでしょうか。

予備知識なしに来たら、100%迷いますよね。
実は出かける前日に、偶然↓こんな動画↓を見つけまして。



麓から秋葉山を経て仏果山までの全行程動画。ありがたいですねぇ。
これを見ずに出かけていたら、きっと山の中で路頭に迷っていましたよ。
動画をアップされた相原正貴さんに、心より感謝申し上げます。

私の場合、動画をすべて暗記して出かけた訳ではなくて、動画の中の「青いビニールテープを頼りに進めばよい」というアドバイスだけを心に刻んで、麓から秋葉山までバカの一つ覚え的に(バカは私ね「青テープ!青テープ!」と唱えながら進んだんですね。

だからこそ、さっきの二又(実は三又だった訳だけど)でも、赤テープトラップ(だからトラップじゃないってば)とかに引っかかることもなく、迷わず真ん中の踏み跡へと進むことができたのでした
秋葉山1049-1
ほら、ここも青テープ。
青テープのこと知らなかったら、こんな壊れたゲート、くぐらないで素通りしてましたよ
秋葉山1050-2
林道を横切るところにも青テープ。
青テープをかけてくださった方も、どなたかは存じ上げませんがありがとうございます。
秋葉山1057-1
新緑が目に眩しい季節ですね。
秋の紅葉も素敵ですが、私はやっぱりこの透明感ある新緑が好き。
体の中のリフレッシュメーターがフィトンチッドで満たされていくようです。

え?フィトンチッド
よく知りませんけどね。イメージよ、イメージ
秋葉山1104-1
そんな中、裂けたり折れたりしたままになっている木があちらこちらに見られます。
落雷の直撃を受けたのか、それとも暴風でやられたのでしょうか。
今日はとても穏やかですが、荒れるときはきっと想像を絶する荒れ方なのでしょうね。

それにしても、やはりなかなかの急勾配です。
一歩進むごとに高度を稼げるのはいいのですが、地面に足の裏をぺたっとつけると、角度があるから真っすぐ立っていられないんですよね。
だから自然と、かかとを浮かせて、つま先立ちのまま登る姿勢になります。
いやぁぁしんどいっっ。頂上はまだか
秋葉山1115-1
このあたりが東京スカイツリー(634m)と同じぐらいの高さでしょうか。
木々の向こうに関東平野が広がっています。
あと少し。もう少し。

左側から隣の尾根が寄ってきて、ふっ、と勾配が緩くなったと思ったら、そこには・・・
秋葉山1117-1
目の前に秋葉講の祠と記念碑が。
え?ここ、秋葉山?
祠にご挨拶して、もうほんのちょっと登ったところに・・・
秋葉山1118-1
ありました~!「秋葉山」の銘板。

確かに標高660mと書いてあります。地形図と照らし合わせながら歩いてきましたから、間違いありません
東京スカイツリーから一番近い、東京スカイツリーより高い山。登頂です~

目的達成ではありますが、木々に囲まれて、残念ながら眺望はありませんので、休憩もそこそこに次の仏果山へと向かいます。

・・・で。
いまさらですけどね。
秋葉山って、「山」っていいますけど、山のてっぺんじゃないんですよね。
山の肩というか、踊り場というか。
寺号なんかで、〇〇山っていうけど山じゃないよね、ってのがよくありますが(成田山新勝寺とか)、あんな感じでしょうか。え?違う?

そんなわけで、山からの出発ですが、下り坂ではありません。
地形図であらかじめわかっていたことではありますが、まだ上りかぁ~とため息をつくのであります
秋葉山1121-1
相変わらず、折れた木が倒れかかっていたりして、荒れ気味の登山道ですが、さっきよりは勾配が緩くなりました。
一歩一歩、仏果山から南東に延びる主稜線を目指します。
秋葉山1128-1
おっと、油断していたらまた急勾配。ひぃ~
秋葉山1130-1
あれに見ゆるはゴルゴダの丘の十字架・・・のはずはなくて稜線の道標ですね
もう何だか、道でもなんでもない土の急斜面をよじ登っているだけの感じになってきましたが、とにかく主稜線までたどり着けたようです。ふぅ~
秋葉山1131-1
秋葉山への最初の道標からここまで、ほかに誰ひとり、登山者の姿を見ずに登ってきました。
ゴールデンウィークの真っ最中で、他の山はきっと家族連れなどで賑わっているんでしょうけどね。
秋葉山経由の登山道はほとんど知られていないのでしょう。実に静かな山歩きでした。
まぁ、遭難しても誰も見つけてくれない山域、とも言えますけどね

この先はさすがに、どのガイド本にも紹介されているメインルートですから、登山者の姿も時々は見かけるようになりました。
といっても結局、仏果山山頂を除けば、下山までの間に会ったのは全部で5組ぐらいでしたけどね。
(仏果山山頂だけは、他の登山道から登ってきた家族連れなどで賑やかでした
秋葉山1135-1
主稜線は相州アルプスと呼ばれているそうで。
稜線の向こう側は名前負けしない好展望です。

とはいえ、高さ600~700mの山々に「アルプス」とは、これはまた大胆に名づけましたね。
地元の西山を守る会さんが名づけ親だそうですが、まぁ県内、大磯には最高地点が標高181mの湘南アルプス、鎌倉にはそれよりさらに低い鎌倉アルプスというのもありますから、高さはあまり関係ないのかもしれません
秋葉山1223-2 
ここから仏果山頂まではいわゆる痩せ尾根というやつで、両側スパっ!と崖になって切れ落ちているところを恐る恐る進みます。
写真だとその怖さがなかなか伝わらないですね。いっぱい撮ったんだけどなぁ...。写真って難しいですね

特に西側(登ってきたのと反対側)は、ここで踏み外したりしたら谷底のバス通りまでノンストップで転がっていくんじゃないかと思うぐらいの急斜面。このあたりが「アルプス」たる所以でしょうか。

とはいえ、要所要所に鎖やロープがかけられていますし、技術的に難しいところはありませんので、必要以上に恐れる必要はないです。でも、雨のあととか、風の強い日などは通りたくないですね。幸い今日は風も弱くて、地面も乾いていますから大丈夫。落ち着いて進みましょう
秋葉山1150-1
そろりそろりと痩せ尾根をわたった後は、最後にぐっとひと上り。
11時50分、本日の最高地点(747m)、仏果山に到着です
秋葉山1155-1 
仏果山頂は木立に囲まれていて視界が開けていませんが、高さ13mの展望塔が建っています。
上がればきっと素晴らしい景色が広がっているはずです。

正直、やっと頂上に着いてほっとしたばかりで、ここからさらに標高差13mを登るのは億劫な気がしないでもないのですが、ここまで来て景色を見ずに帰ってはきっと後悔するでしょう。
よっこらせっ、と重い足を一段いちだん持ち上げて、展望塔のてっぺんへと向かいます。
そこには・・・
秋葉山1152-1
期待に違わぬ、360度の大展望!
あぁ、やっぱり上がってきてよかった。

西側には、眼下の宮ヶ瀬湖越しに、丹沢の稜線が遠く続いています。
秋葉山1152-3
そして東側には、どこまでも広がる関東平野。
東京スカイツリーからここまで、ここより高い山がひとつもないことが改めて実感できます。

展望塔の上にレジャーシートをひろげて昼食にすればさぞ気持ち良いでしょうが、次々に人が登ってきますし、ここを占領していてはマナー違反ですね。早々に地上へ降りて、先ほど半原のセブンイレブンで買ったおにぎりを頬張っていたらちょうどお昼12時になりました。うん。まずまず計画どおり

さて、お腹も満たされたし、先へ進みましょう。

経ヶ岳へは、今来た道を、先ほど主稜線に出たところまで戻って、そのまま直進します。
ということは、またあの痩せ尾根ですね。うひゃ~
秋葉山1229-1
このあたりが修験道の霊場だったというのも、怖い思いをした後に読むと納得です。

秋葉山への分岐を過ぎると、崖上の怖い痩せ尾根渡りはほぼ終わり、しばらくの間は尾根上、ゆるやかに高度を下げる道になります。
自然と足が速くなりますが、調子に乗ると膝に来ますからね。時間は十分ありますし、スピードを出しすぎないように。先ほどとは別の意味で気をつけて進みましょう。
秋葉山1235-3
振り返ると「この先道幅狭し 注意」の看板が
こちらから登る方、狭いだけじゃなくて高いですからね。
この看板見たら「ここからだなっ」と気合入れなおしてくださいね
秋葉山1237-1
快適な緩斜面も長くは続かず、間もなく鹿よけ柵に沿った急な下りになります。
歩きやすいところを選んでジグザグに下っていると、勢いでついつい柵に寄ってしまったりするのですが、柵には錆びたバラ線が張ってありますから、突っ込んでしまっては大変。接触したりしないように気をつけて進みます(気をつけることが多いなぁ)。
秋葉山1248-1
12時48分、革籠石山に到着。
さっき仏果山でゆっくり休んで、まだ疲れていませんからね。
展望もあまりありませんし、ノンストップで先へ進みます
秋葉山1255-1
革籠石山からは、木段の道を一気に下ります。
地図で見ると標高差40mぐらいですが、歩きづらい分、もっと長く感じます。
木段って苦手なんですよね。

ここもそうですが、この手の木段、「関東ふれあいの道」に指定されているところに多いですよね。
設置当初は良かれと思って整備されたんでしょうけど、今では段々ごとの上側の土砂がすっかり流出してしまって、浮いた一本一本がハードルのように立ちふさがるような状態。まったく、歩きづらいったらもう...
いちいち足を高く上げてハードルを越え、下の段にドン!って着地するのをひたすら繰り返すことになるので、あっという間に膝がガクガクになってきます。

それでもまぁ、これを上ること考えたら、下りで良かったですけどね
秋葉山1307-1
13時7分、土山峠分岐に到着。
ベンチで小休止して先へ進みます。
秋葉山1315-1
尾根筋の道はずっと林の中ですが、ときどき視界が開けて眺望が楽しめます。
ただ、雲がちょっと厚くなってきたようです。先を急ぎましょう。
秋葉山1321-1
13時21分、リッチランド分岐を通過。

なにその成金っぽい名前?と思ってしまいましたが、リッチランドはコテージやバンガローもあるキャンプ施設だそうです。坂尻バス停から徒歩20分、露天風呂もあるそうですから、早朝からの山歩きの基地としても使えそうですね

ここからは半原越(峠)に向けて、またしても一気の下りです。
標高差68m。経ヶ岳に向けて登らなきゃいけないはずなのに…あぁモッタイナイ
秋葉山1329-1
下って下って、半原越まで降りてきました。
半原越は、養蚕が盛んだった煤ヶ谷村と、製糸業で栄えた半原とを結んだ峠道だそうですが、今はもう産業を支える道路としての役割は終えているようです。この日はここを越える車の姿は見あたらず、ツーリングで訪れるバイクのエンジン音だけが谷間に響き渡っていました。

さぁ、下ってしまった以上、仕方ありません。
半原越から経ヶ岳へは、標高差145mの登り返しです。
頑張ってまいりましょう
秋葉山1336-1
ここの木段はまだ整備されてから日が浅いのか、土が流出しているようなこともなく、比較的歩きやすいですね。
ただ、先ほどから左膝を曲げ伸ばしするたびに、パキンパキンと関節が鳴るような音がしはじめて、とっても気になるのですが、痛みがあるわけではないので先へ進みます。
秋葉山1346-1
半原越からしばらくは展望のない急坂が続きますが、15分ほど登ったところで大山方面の視界が開けます。
うわぁ...随分と雲行きが怪しくなってきましたね。奥の方は降り始めてるんじゃないでしょうか。
秋葉山1349-2
さて、経ヶ岳も近づいてきたはず。ここからが最後の登りしょう。
いま見えている、こんもりとしたあの高みがきっと頂上ですね。
目標が見えれば、木段もつらくない...ぞ...ん~やっぱりキビシイなぁ

1,2,3,4・・・124,125,126!

木段は126段でおしまい。でも、まだ急坂が続くぞ。
右足、左足。右足、左足!
勾配が緩くなって、やった~!頂上に到ちゃ・・・

あ、あれ?
秋葉山1355-1 
どうみても頂上じゃないよね。
何ですかこれ・・・
秋葉山1355-2
経ヶ岳の名前のもとになった、弘法大師が経文を納めた岩だそうです。
弘法大師はともかく、トウモロコシ伝説の方は妙な言い伝えですなぁ
ま、伝承にツッコんでも仕方ないですね。素直に受けとめましょう

岩の裏側に回ると、経文が納められたと伝えられる穴が開いていまして…。
秋葉山1356-1
だれが置いたか、やけにかわいい仏様が鎮座なさっておりました
秋葉山1356-2
ここまでの道中の無事を、心より感謝申し上げます。
この先も、帰宅するまで安全に、そして雨が降りませんように
秋葉山1357-2
さあ、今度こそ。
見えているあそこが頂上で間違いないですね
秋葉山1400-1
14時ちょうど。経ヶ岳に到着です。

ところで。
覚えてますか?今回の山行の趣旨。
振り返ってみましょう。

「東京スカイツリーから一番近い、東京スカイツリーより高い山に登る」

でした。

 第3位 仏果山(標高747.0m)東京スカイツリーから54.22km
 隠れ第1位 秋葉山(標高660m)東京スカイツリーから53.81km

この2座は、ここまで登ってきましたね。
実はこの経ヶ岳も「ちょっとゲタ履かせれば、スカイツリーより高い山」

 おまけの第1位 経ヶ岳+私の身長=計634.6m 東京スカイツリーから53.40km

東京スカイツリーの建っているところの標高はぴったりゼロメートルじゃないでしょ、とか野暮なツッコミはなしよ

というわけで、腕を伸ばして地上2mぐらい(標高でいうと約635m)のところから撮った写真がこちらです
秋葉山1415-1
かなたに見えるのは、ランドマークタワーを筆頭とした、みなとみらいの高層ビル群ですね。
残念ながら東京スカイツリーの方向は木々が邪魔して撮れませんが、正真正銘の
「東京スカイツリーから一番近い、東京スカイツリーより高いところからの眺望」
こちらで認定とさせてくださいませ

目的を果たせば、あとは雨雲と競争です。
とっとと下山しましょう

半原越からは木段の急登が続きましたが、それと対照的に、経ヶ岳頂上からの下山道は北東へ延びる尾根筋をゆるゆると降りていきます。なかなか高度が下がらないので若干イライラ感が募ります。

15分ほど歩いたところで尾根から外れ、急斜面をジグザグに下ります。
うぅ、膝が笑ってきた。下界はまだか
秋葉山1446-1
14時46分。だいぶ標高が下がってきました。
最後の展望所です。ベンチもありますので、ちょっと休憩してまいりましょう。

おっと。
東京スカイツリーが見えるじゃないですか

秋葉山1447-1
ということは、東京スカイツリーからこちらも見えるってことですね。
今度あっちに上る機会があれば、地図を持っていってよーく見比べてみよう
秋葉山1501-1
山頂から1時間。谷底まで降りてきました。
さっきまでパキンパキンいっていた左膝も、なんとか保ってくれたようです

埋まった砂防ダムの上を対岸に渡ります。
今日は枯れているからいいけれど、水が出たときは難儀しそうです。
大雨のあとは、このルートは避けた方が無難ですね

ところで、砂防ダムはもともと土砂が流れてきやすいところに造るものですから、何十年かすれば埋まってしまって、このようにもはや砂防の意味を成していないダムもしばしば見かけますよね。
いや、むしろそういう埋まったダムの方が多いかも。

でも、最近の砂防ダムは進化しているんですね。
すぐ下流にあった次の砂防ダムがこちら。
秋葉山1506-1
秘密のダンジョンに通じる魔法の扉のような、大胆かつ斬新なデザイン。
呪文を唱えるとゴゴゴゴって左右に開く...訳じゃないですよね


スリットダムっていうそうですが、堰堤に底まで隙間を入れて、普段は水や土砂を溜めずに流してしまうんですね。
だから、不必要に土砂を積もらせてしまうことはないけれど、いざというときは大きな岩や流木をがしっと受け止める。気は優しくて力持ち、ってドカベンの主題歌がピッタリです(古っ

ところで、丹沢エリアではヤマビルの被害が増えているそうで、この先の登山口には、ヒルの忌避剤スプレーも設置されていました。うっかり川筋まで降りて写真を撮ってしまいましたが、じめじめした場所に長居するのは避けましょうね
秋葉山1518-1
このあとは、川沿いの平坦な道を1kmちょっと歩けば、朝のバスで通った国道に出ます。
ここまで来れば、ゴールの半僧坊前バス停まであとわずかです。
秋葉山1525-1
15時23分、なんとか雨雲に追いつかれずにゴールに着くことができました。
時刻表を見たら、30分に1本のバスが3分前に出たばかりではないですかっっ
あちゃ~、と思ったら、先客のハイカーの方が「まだ来てないですよ」と教えてくれました。

ほどなく本厚木行きのバスが到着。遅れてきてくれたおかげで助かりました

ところが車内、立つ場所を確保するのもひと苦労の混雑ぶりです。
ただ立っているだけならいいのですが、ザックとストックが周りの人の邪魔にならないように片腕に抱えて、それに合わせて足も狭いスペースで踏ん張って、不自然な姿勢のまま本厚木駅まで35分。くたびれた足にはちょっとツライ・・・

秋葉山から経ヶ岳へと歩いている間は、ほとんど人の姿を見ることもなかったのにね。
どうやら宮ヶ瀬ダムの14時の観光放流を見物して、帰ってくる人たちのピークの時間帯に当たってしまったようです。神奈中バスさん、この時間帯は増発してくれないかな~

昨秋の尾瀬以来、8か月ぶりの山歩きで、足が少々鈍り気味でしたが、目的も達して、無事歩きとおすことができました。1000mもない低山歩きでしたが、充実感たっぷりです

もし「東京スカイツリーに一番近い、東京スカイツリーより高い山」に私も登ってみたい、と思われた方がいらっしゃいましたら、このブログだけでなく、ご紹介した動画や山行記録も参考にしていただき、山の様子を把握してからお出かけくださいませ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました
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